青森地方裁判所八戸支部 昭和56年(ワ)71号 判決 1983年3月31日
原告 甲野一郎
右法定代理人親権者父 甲野太郎
<ほか一名>
右訴訟代理人弁護士 浅石大和
同 浅石紘爾
同 浅石晴代
被告 三戸町
右代表者町長 松尾善太郎
右訴訟代理人弁護士 国分富士保
主文
1、被告は、原告に対し金三〇二二万二八三〇円およびこれに対する昭和五四年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2、原告のその余の請求を棄却する。
3、訴訟費用は被告の負担とする。
4、この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一、原告
1、被告は、原告に対し金三〇五二万二八三〇円およびこれに対する昭和五四年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2、訴訟費用は被告の負担とする。
3、仮執行宣言
二、被告
1、原告の請求を棄却する。
2、訴訟費用は被告の負担とする。
第二当事者の主張
一、請求原因
1、当事者
(1) 原告は、昭和四四年七月二二日父甲野太郎と母花子間の長男として出生し、後記(2)事故(以下本件事故という)当時、三戸町立三戸北小学校四年生であり訴外乙山春夫(以下乙山という)は、原告の同級生であった。
(2) 本件事故当時、右小学校校長は訴外千葉武雄、(以下訴外千葉という)教頭は訴外畑山利雄、(以下訴外畑山という)原告および小池の担当教論は訴外佐藤千代子(以下訴外佐藤という)であった。
(3) 被告は、右小学校の設置者で、(2)記載の者らの使用者である。
2、事故の発生
(1) 昭和五四年一二月二〇日、原告の学級一時間目(午前九時五分から同九時四五分まで)は訴外佐藤が時間休をとったため、教室内での自習となり、訴外畑山が午前八時五〇分ころ、担当教諭訴外佐藤の補欠として教室へ行き児童に対し約一〇分間当日の行事や学習方法について指導を行ったあと、PTA役員会準備のため教室を離れた。
(2) 同日午前九時一〇分ころ、学級会長である原告が教卓付近に立って「朝の会」の司会をしていたところ、乙山が自席を離れ、原告の左側から、当日の三、四時間目に予定されていた「お楽しみ会」で使用する風船割り用の吹矢の入った筒を原告目がけて吹いたため、筒の中の吹矢が飛び出し、これが原告の左眼に突き刺さり、このため原告は左角膜裂傷、左外傷性白内障の傷害を受け、左眼球癆(失明)状態となった。
3、責任原因
(1) 被告は、原告に対し、国家賠償法一条一項に基づき、後記損害を賠償すべき責任がある。
(2) 訴外千葉は校長として同小学校教育全般の最高責任者として、訴外佐藤は原告および学級児童の担当教諭として、訴外畑山は訴外佐藤の補欠者として、それぞれ原告および学級児童全員の保護監督義務を負っている
イ、訴外佐藤は、前記「お楽しみ会」の出し物として風船割りゲームが企画され、そこで使用する吹矢(先端、針の部分につまようじをつけた自製のもの)を数本本件事故前日一九日児童に作成させ教室内に保管しておいたが、本件事故当日朝には、同訴外人の指示で児童の一人が持参した吹矢筒(ビニールパイプ製)が教室内におかれていた。本件事故は、右吹矢筒に乙山もしくは他の児童が吹矢をつめていたものを乙山がいたずらした結果惹起されたものであるが、そもそも訴外佐藤は、風船割りゲームを企画立案し、これを実施に移すにあたっては、吹矢の危険性にかんがみ、いかなる場合においても児童がこれをいたずらしないよう十分な保管をすると同時に、児童に対してはその使用について厳重な注意を与え、特に時間休をとる際は、吹矢と筒の存在を学校側に確知せしめ、児童に危険が生じないよう配慮をするなどして、万が一にも児童の生命身体に危険を生じさせるような事故が発生しないようにする注意義務があるのにこれを怠り、漫然と児童および学校側に対し吹矢使用に関する特別の注意喚起も行わなかった。
ロ、訴外畑山は、訴外佐藤の補欠者として学級の当日の行事や学習予定は当然知悉していたのであるから、前記イ同様吹矢の管理に留意し、児童に対し吹矢の使用上の注意を行い、教室を離れる際は、吹矢を児童から隔離保管するなど万が一にも児童の生命身体に危険を生じさせるような事故が発生しないようにする注意義務があるのにこれを怠り、漫然と何ら適切な措置をとらず教室を離れた。
ハ、訴外千葉は、学級で行われる行事の中の吹矢による風船割りゲームのように危険な道具が使用される事態を予想し、教員および全校児童に対し、常時、その管理、使用上の指示や注意を与えたり、自習時間中の児童の安全を確保するための万全の監視体制を講じ、万が一にも児童の生命身体に危険を生じさせるような事故が発生しないようにする注意義務があるのにこれを怠り、何ら適切な事故防止措置を講じなかった。
4、損害
(1) 治療費 金九五〇四円
イ、治療経過
雪野眼科医院通院 昭和五四年一二月二〇日
岩手医科大学附属病院 入院(同年一二月二一日から昭和五五年二月二八日まで七〇日間)通院(同年三月六日から昭和五六年九月二九日まで約一九か月間(実通院日数一八回))
ロ、治療費
雪野眼科医院および昭和五五年五月までの岩手医科大学付属病院の治療費は受領ずみ。
同病院の同年六月以降の通院治療費金九五〇四円
(2) 入院雑費 受領ずみ
(3) 通院交通費 金一二万八七〇〇円
昭和五五年五月分までは受領ずみにつき、同年六月分以降の岩手医科大学付属病院への原告および母花子の通院交通費(回数一八回、国鉄三戸駅・盛岡駅間二人分往復料金三六五〇円および自宅・三戸駅間、盛岡駅・右病院間のタクシー往復料金三五〇〇円)
(4) 付添費 金九万一五〇〇円
イ、前記入院中の母花子付添
第一回目の手術(昭和五四年一二月二一日)後一四日間
第二回目の手術(昭和五五年一月一七日)後七日間
付添料一日金三〇〇〇円
ロ、通院付添
一九日間、一回金一五〇〇円
(5) 逸失利益 金二〇一〇万五九六三円
イ、年収 金三六三万三四〇〇円
昭和五六年賃金センサス第一巻第一表の産業計企業規模計の男子労働者の学歴計年令計の給与額による。
ロ、労働能力喪失率 四五パーセント(第八級一号、一眼失明)
ハ、ライプニッツ係数 一二・二九七
ニ、計算 (イ×ロ×ハ)
(6) 慰藉料 金七三〇万円
イ、入通院慰藉料 金一三〇万円
ロ、後遺障害慰藉料 金六〇〇万円
原告は左眼を完全に失明し、義眼を装着せざるをえなくなり、勉学、日常生活に多大の支障をきたしており、その苦痛ははかり知れない。又、本件受傷が右眼に対しても悪影響を及ぼし場合によっては両眼失明という危険にさらされており、日夜不安にさいなまれている。
(7) 精密誂義眼装着料 金三八万七一六三円
イ、昭和五五年三月装着したが、一三歳、一七歳、二〇歳、その後六五歳までの間五年おきに入替装着の必要がある。
ロ、装着料 一回金五万六〇〇〇円
ハ、ホフマン式計算方法により算出
(算式は別紙1)
(8) 弁護士費用 金二五〇万円
5、よって、原告は、被告に対し金三〇五二万二八三〇円およびこれに対する本件事故発生日昭和五四年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二、請求原因に対する認否
1、(1)のうち、原告の生年月日は否認する。その余の事実は認める。原告の生年月日は昭和四四年七月二三日である。
1、(2)(3)は認める。
2、(1)は認める。
(2)のうち、原告が学級会長であること、原告が「朝の会」の司会をしていたこと、乙山が原告めがけて吹いたことは否認、原告の負傷状態は不知、その余の事実は認める。原告は当日の当番で、他の児童から、お互に静かに自習するように話すことを求められ、これに応じて教卓近くに立ったもので、乙山が中に吹矢が入っているとは知らずにパイプを、「このパイプで吹矢を吹くのかなあ」との軽い気持で吹いてみたところ、たまたまその時偶然に右側を向いた原告の左眼に吹矢が当って落ちてしまったもので、原告をめがけて吹いたものではない。
3、(1)は争う。
(2)は否認する。一般的には、小学校教員には児童について代理監督義務は存在するであろうが、訴外佐藤同畑山および同千葉には過失責任はない。
訴外佐藤は、本件事故前日一九日、第四校時に図書係グループ(小林豊、川市栄司、乙山、遠藤一広の四名)が吹矢数本を作ったので、これを特に他の物と区別して教室窓側の教師用机の引出の中に入れたが、その際児童たちの注意をひくため、「あぶないなあ」と言いながら保管した。他の児童らのグループの準備した物は教室内のロッカーや本棚に保管した。
訴外畑山は、午前八時五〇分ころ、原告らの学級に赴いたところ、児童たちは自習時間のため、国語や算数のドリル帳で勉強しており、普通の状態であったので、「今日は千代子先生が一〇時までに来ます、学校は一〇時からPTAの役員会、午後からは父兄参観日になっています、だから皆さんは千代子先生がいなくてもしっかり勉強するようにして下さい。今日はお楽しみ会があるようですが、しっかり勉強していないと、千代子先生が帰ってきても、お楽しみ会はやらないかもわかりませんよ。」などと話したうえ、「それでは今日の勉強は、いま皆さんがやっているドリル学習帳を勉強しましょう。国語をやり終った人は算数のドリル帳をやりなさい」と指示して午前九時ごろに、PTA役員会の準備のため教室を出た。
吹矢による風船割りは二人の児童のみが出場し、これを見る児童らはすべて右二名の児童の後方に位置するものであるから、訴外佐藤の監督のもとに危険なく動作が行われうると同訴外人は考えた。こうした状況のもとで使用されることになっていたもので、訴外千葉には過失はない。
4、は不知、(ただし、(1)ロのうち受領ずみであること、(2)の受領ずみであること、(3)のうち受領ずみであることは認める。)
第三証拠《省略》
理由
一、請求原因1(当事者)については、原告の生年月日の点を除き当事者間に争がなく、弁論の全趣旨によると原告の生年月日は昭和四四年七月二三日と認めることができる。
二、請求原因2(事故の発生)中(1)(訴外畑山利雄が教室を離れるまで)の事実については当事者間に争いがなく、同(2)の事実については、同日午前九時一〇分ころ、原告が教卓近くに立っていたところ、乙山が自席をはなれ、当日の三、四時間目に予定されていた「お楽しみ会」で使用する風船割り用吹矢の入った筒を吹いたこと、原告は左角膜裂傷、左外傷性白内障の傷害を受け、左眼球癆(失明)状態となったことについては当事者間に争いがない。右争いのない事実と《証拠省略》を総合すると以下の事実を認めることができる。この認定を左右するに足りる証拠はない。
1、本件事故当日、訴外佐藤は子供の急病のため、被告千葉に電話で許可を求め、午前八時から同一〇時までの時間休をとった。その際、吹矢のことについてはなんらふれることはなかった。そこで、訴外畑山は教務主任から四年生の補欠授業者としての割振りを受けた。
2、当日の四年生の日課は、通常通り自習(午前八時一五分から午前八時三〇分まで。以下この項では数字のみで略記する)、学級集会(八・四〇―九・〇〇)につづき、一、二校時(九・〇五―九・四五、九・五〇―一〇・三〇)が自習、三、四校時(一〇・四五―一一・二五、一一・三〇―一二・一〇)が自習、その後給食、清掃、部落児童会があり放課(一四・〇五)となっており、また、学校における行事としては、PTA役員会(一〇・〇〇―一二・〇〇)および参観日としての部落児童会、全体会、学級懇談会、個人面接(一三・三〇以降)が予定されていた。
3、原告所属の学級(以下佐藤学級という)では、昭和五五年一二月一五日二学級最後の学級会の行事として、クリスマス会を兼ねて「お楽しみ会」を開くことを学級会で相談し、同月二〇日三・四校時に開くことをきめ、当日の出し物については図書係など五の係がグループになって、それぞれ協議してきめることになった。同月一九日佐藤学級では四校時を学級会とし翌日のお楽しみ会の準備をしたが、乙山ら四、五名は、八時だよ全員集合の吹矢による風船割りを出し物とすることになり、風船を持参し、吹矢の準備をみた。しかし、当日はまだ吹矢に使用する筒(以下単に筒という)は用意されていなかった。
4、吹矢は、児童らが作ったが、画用紙で底面直径約一・五センチメートル高さ約六センチメートルの円錐状に作り、その先端に木制つまようじを取りつけたものである。
5、佐藤学級は児童二九名の机が横五列に並び、これに対面して教卓があり、更に教卓からみて右側には教師机が配置されているが、教師机は片袖の事務机で、ひき出しにかぎはなく、訴外佐藤が算盤、コピー原紙など私物を納めていた。
6、訴外佐藤としては風船割りが児童二人によって他の児童らの居ない方に向ってとばされるので、充分監督でき、ゲーム自体に危険は感じなかったものの、児童たちの作った数本の吹矢を預り教師机の引出しに納めたのであるが、その際児童の注意を引くために「危いなあ」と言いながら保管した。吹矢が教師机に保管されていることは前記二児のほかは知らなかった。
7、当時佐藤学級でも、テレビの「午後八時だよ全員集合」番組は児童達に非常に人気があり、日常の生活でそれをまねてやることが行われていた。
8、訴外畑山は補欠授業のため午前八時五〇分ころ佐藤学級に赴いた。児童たちは既に算数ドリルなどで自習していたので、訴外畑山は、佐藤先生が午前一〇時ころまで休むのでそのまま自習を続けることや自習をしっかりやらないとお楽しみ会はやめるかも知れない旨など注意した後、当日予定されたPTA役員会準備のため午前九時ころに佐藤学級を立去った。
9、その後間もなく養護教諭大渡りつ子が校内を巡回中佐藤学級の前を通りかかり、教室へ入ったところ、児童たちの何人かの者は立って雑談をしている状況だったので、児童たちに、「廊下まで声が聞こえる。佐藤先生は時休をとった」ことなどを話し、児童らが再び席につき自習を初めるのを見届けてから教室を出た。在室した時間は二分間位のものであった。
10、ところが、再び教室内が騒しくなったため、二学期学級会会長の原告が静かにさせようとして教卓近に出た際、席を離れていた乙山が教師机付近約二メートルの処から、ビニールパイプ(長さ約五〇センチメートル、経約一・五センチメートル)に吹矢が入っていることを知らずに、原告の方向に吹き、そのため中の吹矢がとび出し、たまたま乙山の方に顔を向けた原告の左眼に吹矢があたった。
三、そこで右事実にもとづき責任原因について検討する。小学校における校長・教師は学校教育法の趣旨、校長・教師の職務の性格、内容から考えて、教育活動およびこれと密接不離な関係にある生活関係について児童を保護監督すべき義務があるところ、本件事故は前記の経過で発生したもので、訴外佐藤としては前日吹矢を預った際吹矢が扱いかたによって危険であることを知りながら、施錠のない教師机に保管したもので、吹矢による風船割りがテレビ放映の影響で児童たちに人気が高く、自己が時間休をとった場合補欠授業者が当ることになってはいるものの、教員配置の状態などからみて、自習時間となることは予想しうることであるし、その場合小学校児童らが教師不在の場合には自席をはなれ勝手な行動に出て、吹矢を取出して遊ぶことが予想されることであるから、予め、吹矢を預り保管するに当っては児童らが自由には取出せない方法をとるか、あるいは、時間休をとるに当っては、補欠授業者が適切な措置をとりうるよう吹矢保管についても連絡をとるべき義務があるのにこれを怠った過失があるものと言うべきである。訴外千葉は校長として訴外佐藤を指導監督する立場にあったものとしての過失を免れない。訴外畑山は補欠授業者として当日佐藤学級においてお楽しみ会が予定されていたことを知っていたものではあるが、補欠授業者の割振りに当って教務主任より特に連絡指示がなされた形跡はなく、吹矢の保管状況について何らかの知識を持っていたことも認められないところであるから、吹矢による事故の発生を予見しうる立場にあったものと言うことはできない。訴外畑山については本件事故についての過失は認めることはできない。被告は三戸町立三戸北小学校の設置者であり訴外千葉および同佐藤が校長、教諭としての地位にあることは当事者間に争いがないので、被告は同訴外人らの過失に基づき国家賠償法一条に基づきよって生じた損害を賠償する責任がある。
四、損害
1、治療費に関し、まず、原告の受けた治療経過については、《証拠省略》を総合するとこれを認めることができ、治療費についても昭和五五年六月以降の通院治療費が金九五〇四円であることその他の事実を前掲証拠により認めることができ、この認定に反する証拠はない。
2、入院雑費については原告が受領ずみであることについては当事者間に争いがない。
3、通院交通費については、《証拠省略》により、原告主張のとおり金一二万八七〇〇円を要したことを認めることができる。
4、付添費については《証拠省略》により、原告主張のとおり金九万一五〇〇円を要したことを認めることができる。
5、逸失利益
原告は昭和四四年七月二三日生れの男子で、健康であった(この点は《証拠省略》から推認できる)から本件事故がなければ少くとも満一八歳から満六七歳まで、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表企業規模計の男子労働者の学歴計、年令計の給与に相当する収入を得ることができ、これによると年収は金三六三万三四〇〇円となる。
次に、原告が本件事故により、前記の傷害のため後遺障害を残したことは前記のとおりであり、労働能力喪失率は四五パーセントと認めるのが相当である。そして、原告の稼働可能期間に対応するライプニッツ係数一二・二九を用いて算出すると金二〇一〇万五九六三円となる。
6、慰藉料
本件事故発生の経緯、治療経過、傷害および後遺症の程度、今後義眼装着を余儀なくされること、健眼である右目への将来の悪影響に対する不安が残ることなどの諸事情を考慮すると、原告の精神的苦痛に対する慰藉料は金七〇〇万円が相当と認められる。
7、精密誂義眼装着料
《証拠省略》によると、原告は昭和五五年三月近代義眼研究所で精密誂義眼装着を受け、その代金として金五万六〇〇〇円を要したこと、二年後には眼球萎縮の進行などにより新義眼の入替、成人までは四年に一回、成人後は五年に一回入替装着する必要のあることを認めることができ、この認定に反する証拠はない。そうすると、原告の主張するとおりの費用を要することになり、したがって、ホフマン式計算方法により中間利息を控除すると別紙1の算式により金三八万七一六三円を下らない金額となる。
8、弁護士費用
原告が本訴追行のため原告訴訟代理人らに訴訟委任したことは当裁判所に明らかで、被告に負担せしむべき弁護士費用としては金二五〇万円が相当である。
五、よって、原告の請求は右損害賠償金合計三〇二二万二八三〇円およびこれに対る本件事故の日である昭和五四年一二月二〇日から支払ずみまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから認容し、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、仮執行宣言につき同法一九六条一項、を適用して主文のとおり判決する。
(裁判官 齋藤清六)
<以下省略>